2025年8月11日月曜日

英語脳になりたいですか?じゃぁ、こうするのがベストです。

 英語脳になりたいですか?じゃぁ、こうするのがベストです。

 

自分の脳を英語脳にするというのは、英語の感覚をそのまま、脳で理解できるということですよね。

つまり、日本語のしゃべる癖を、英語のしゃべる癖にするということです。

例えば、「私の経験では、…」と言う日本語を英語で話すと、based on my experience といいますよね。でも、英語のネイティブは、そんな言い方をしません。

In my experience, … です。

じゃぁ、この表現を見たら、あなたの日常しゃべる日本語も、「私の経験の中では、」と言ってください。

日本語としては、とても変ですよね。笑

でも、そういう変なしゃべりかたをすると、英語脳になります。

もう一つ、例を挙げます。

「僕の知っている限りにおいては、…」は、as far as I know となります。

じゃぁ、今後、「僕の知っている限りにおいては、…」みたいな、ちゃんとした日本語をやめて、「私が知っているところくらいまでの遠くへ行くと、…」とか、「私の知っている世界のふちっこまで行く距離の中で、…」とか、むちゃくちゃ英語の直訳にしてみます。

 

こんな感じで、英語のフレーズを覚えたら、日本語を壊していきます。

日本人同士の話だと、だんだん、「こいつの話し方変」と言われ始めますが、英語を覚えるには、かなり近道になります。

英語脳になるためには、日本語を壊します。

いうなれば、日本語破壊英語脳作りメソッドです。

お試しあれ!

 

 

2025年6月15日日曜日

Behave! と、僕が一人で会食に行くときに、妻に言われた。

 Behave! と、僕が一人で会食に行くときに、妻に言われた。

Behave は、辞書的な意味では、子供に対して

 

Behave!
 行儀よくしなさい!

You need to behave at school.
 学校ではお行儀よくしないといけませんよ。

 

と言う意味があるんだけど、

Behave を旦那に対して使った場合には、

  • -        浮気しないでね
  • -        喧嘩しちゃだめよ、暴れちゃだめよ
  • -        飲酒運転しちゃだめよ

みたいな気持ちを込めて、言っている。

へぇ~、そうなんだぁ。

2025年5月27日火曜日

Do you …? なのか、Are you …? なのか、迷いませんか?英語脳で考えるとは、こういうことだと思います。

Do you …? なのか、Are you …? なのか、迷いませんか?

 

Be 動詞って何でしょう?

  • She is a teacher「彼女は、教師です。」(teacher は、名詞)
  • She is beautiful「彼女は、美しい。」(美しいは、形容詞)
  • She is in the room「彼女は、部屋にいる。」(in the room は、副詞句)

と日本語にすると、…です、…xxい(形容詞、わかい、かわいい、かしこい等)、…にいる。

となりますね。この時に、文法書には、be 動詞は、「主語=述語」と書いてあるけど、私には、何がイコールなのかさっぱりわかりません。(だから、中学の時から今まで、もやもやが続いていました。)

結論を言うと、be 動詞は、いつで、「状態」を示すだけ。です。

 

  • She is a teacher「彼女の状態は教師である」
  • She is beautiful「彼女の状態は美しい」
  • She is in the room「彼女の状態は部屋にいる」

 

話し手が、”She is … “ と、she の後に、is を言ったとたんに、ネイティブは、彼女の状態を、この人は話し始めているんだな。と感覚的に、意識が準備大勢に入ります。

 

She is ... は、すべて、「彼女の状態はね。。。」で、これが先生の状態(昔は先生ではなかった)であったり、美しい状態(相対的な中での、美しい状態)、部屋にいる(状態)ととらえるべきです。

 

そうすると、I am going to … などの ing 形も同じです。(どこかへ行く、何かの方向へ向かっている。だから、何かをしようとしている。と言う意味になる。)

I am と言われた瞬間に、聞き手は、「あっ、なんかの状態を言おうとしているんだな」と感じます。

「あぁ、そうなんだね。」と言う日本語も、本当は、「(あぁ)、そういう状態なんだね」と感じていて、”Are you.” (語尾は下げて発音)と言います。

よく、Do you …? なのか、Are you …? なのか、迷いますよね。

もう迷いません。

ここまでで、じっくり be 動詞を味わってみてください。

Do は、アクションを起こすときに使うだけです。必要であれば、解説します。)


2025年4月28日月曜日

I ran out of time. 何故、「時間切れになった」と言う意味になるのか?

  

I ran out of time.  (時間切れになった)は、「時間というものの外に走り出た。」みたいに、時間の方が止まっていて、 そこから、自分が外に出てしまう。ので、相対的に、時間が後ろに置き去りになって、無くなっていく。と言う解釈が正しい。

 


I ran out of time】のイメージ

  • 時間という「囲い」や「容器」の中に最初は自分がいた。
  • でも、自分が走ってその枠の外に出てしまった
  • だから、「もはや時間の中にいない時間が尽きた・無くなった」という感覚になる。

つまり、

  • 時間が止まっている/固定されている
  • 自分のほうが動いてしまった(走り出して外に出た)
  • 結果、「もう時間がない」という状態になる

という相対的な視点で考えることができます!


ポイントまとめ

私の理解

英語の感覚

コメント

時間の外へ自分が走り出す

run out of time

その結果「時間切れ」になる

時間は止まっているような感覚

Yes

英語的にも自然なイメージになる


小さな補足

「時間に追い抜かれる」というより、
「自分が時間を使い尽くして、残っていない」
と感じるニュアンスもあります。

つまり、

  • 時間の中を走っていた
  • でも、走り続けるうちに「もう中に残っている時間が無くなった」
  • 気づいたら外に出ていた(枠を超えてしまった)

というダイナミックな感じですね!

2024年11月12日火曜日

何故、道路の脇を shoulder と呼ぶのか?

みなさん、不思議だと思ったことはありませんか?

道路の脇を shoulder と呼ぶのでしょうか?

身体の「肩」と、一見似ているようで、ちょっと違う。人間の肩は、一部であるのに対して、道路の肩(何故か、日本語でも「路肩」と呼ばれる。)は、ずっと道路につながって、長く続いている。

他に shoulder を使う例がないのか調べると、

登山用語にありました。

山の肩とは、「山頂より少し下がった所にある平らな部分」と言う意味です。

「山頂より少し下がった所にある平らな部分」から想像するに、「頭より少し下がった所にある平らな部分=肩」と、人間の肩のイメージが、山の肩のイメージと一致します。

また、山頂より少し下がった所にある平らな部分というのは、実は山を四方八方から支えている部分ですよね。Shoulder には、「支える」と言う意味があります。

そうすると、「道路の舗装された部分を左右から挟んで、支えている」ものが、shoulder と言えるんですよね。

すっきりしましたか?僕は、すっきりしました!

2024年10月19日土曜日

What do you think it is? と、Do you know what it is? で、なんで、what の位置が違うの?

What do you think it is? と、Do you know what it is?で、なんで、think の場合、what が、文頭に来るのかわかりますか?日本語にしてみると、

Do you think … をどう思う?

Do you know … を知ってる?

と、なんとなく似ているので、よく比較して考えますね。でも、本当の違いは、構造的な違い手ではなくて、それぞれの動詞が持つ意味の違いです。

 

Do you think … で、聞く場合、「相手は何を考えているか?」を聞きます。こちらは、相手が何を考えているかは、まだわかりません。だから、なんだかモヤモヤした、ふにゃふにゃのイメージです。

相手が答えてくれると、そのイメージが、クリアになっていきます。

聞きたいのは、そのもやもや感のあるイメージです。

What do you think it is?

とか言うと、聞きたい部分は、What です。

英語は、聞きたい部分とか、知りたい部分が最初に現れます。

What do you think … と聞かれると、聞かれた相手は、「おぅ、what を聞きたいんだね?」と直感的に察知します。

同様に、What do you recommend …(推薦する)? や、What do you suggest …(提案する)? も、相手に聞きたいのは、こちらが分かっていない what の部分を答えて欲しいわけです。

 

ところが、

Do you know … ? の場合、know と言う動詞は、「。。。を知っている」と言う意味です。

「。。。」の部分は、例えば、「彼のこと、知ってる?」とか、「xxxと言う名前の会社知っている?」とか、「物」とか、「こと」、とか「状況」のことを知っているかどうかを聞いています。つまり、ものとか、こと(事)なので、名詞であることがほとんどです。もしくは、状況などを知っている場合には、「。。。のこと」知ってる?と、「こと」と言う日本語を付けます(名詞化しています)。

これは、”what it is” で、what が名詞節を作る感覚と同じです。

そうすると

Do you know what it is?

know の後ろの、「こと」が来るような表現になります。Know の後ろに来る名詞や、名詞節は、もやもや感がありません。

この文の答えは、まず、Yes, I do. No, I don’t. と言います。

つまり、知っているか知っていないかに重点があります。この場合、”what it is” を、疑問詞のように、「それは、何?」と聞いている部分は、二の次です。

 

結論:

what do you think …? の場合には、what を答えて欲しい。

Do you know …? の場合は、こちらは、相手が知っているかどうかに、興味がある。

この違いが、what の位置の違いになります。

(もちろん文法的には、think の場合に what は、疑問視と呼ばれ、know の後に、たまたまくる what は、名詞節を作る what と色分けされますが、そんなことを考えていると、what の位置がいつまでたってもわかりません。)

2024年10月14日月曜日

... so that って、日常会話で使えてますか?

... so that って、日常会話で使いますが、なんだか最近、僕の覚えた文法の感覚は、おかしいなと気づきました。

例えば、

I studied hard so that I can pass the exam.

この訳は、

「一生懸命勉強した、だから、試験に合格できる。」と言う意味であって、

「試験の合格できるように、一生懸命勉強した。」

ではない。

 

もっと分解すると、

I studied hard 一生懸命勉強したんだよ。

so … そういう風にした、そんな感じ

that … だからね(と、実は、that は、前文の I studied hard を指している)、。。。と後続の文に続く。

と、話している前(先頭)の方から、ネイティブは、考えている。

で、so that(そういう風にしたから、) を続けて言って、一呼吸おいてから後ろの文が来る。

人間は、後ろの文が、「目的」のためだとか「結果」だとか、前文をしゃべっているときには、イメージが完成していない。

that は、接続詞で、後続の文をつなぐんです。と、学校では教わりますが、ちょっと変。

なんなら、that の後ろに、カンマを付けて、

I studied hard so that, I can pass the exam.

というふうに記述した方が、自然です。