2013年6月10日月曜日

I would say, I would think ってどんな感じの意味?

I would say, I would think ってどんな感じの意味?
私の意見としては、…
私はこう思うけど、…
という訳がされる。

何故、would なのかというと、形はwillの過去形で、過去というのは現在から離れた遠くの思い出。つまり自分がいる場所より離れたところで、既に終わったことというのが、would のニュアンス。

時間的に離れていることと、距離的に離れていることは、意識の中のイメージでは、同じような感じになる。

I will say … と言うと、say の後ろに来ることに関しての確信度が高いのに比べ、would を加え、I would sayと言うと、少し離れたところから、I will say … と言っている感覚。だから、私はこう思うんだけど、そう思わない人もいるかもしれないけど。というちょっと弱腰のニュアンスになる。

絶対的に言い切るのではなく、きっぱりと言えるほど確信を持っていないときに、少し自信の無い状態を表しながら、I would say, …とか、I would think, … (私は、こう思うんだけど)という言い方をする。「思うんだけど」の「…だけど」が、would にぴったり。

2013年6月9日日曜日

…, if you will, の意味

…, if you will の意味
意味は、so to speak (いわゆる)に代わるもので、ちょっと学がある人達が頻繁に口にする。
でも、何でwillを使っているのにそんな意味になるのか?
「このwill は、助動詞ではなく、want, desire, wishという意味の動詞。」と言っている人もいる。
「'…, if you will' = ‘if you wish it to be so called’, ‘if you choose or prefer to call it so.’(そういう風に呼ばれることがいいと思っている)」と言っている人もいる。
It means that the speaker acknowledges that his use of the word in this case could be challenged and that he is asking for the listener's indulgence to let him call it that. So yes, it is
short for "if you will indulge me."(もし、私がこう言うのを、みなさんに許容してもらえるなら→言うとしたら、こんな感じかなぁ。)」と言っている人もいる。
私的には、最後の説明が、比較的すっきりするなぁ。
自分で、ある概念を定義するちょうな発言をして、「的確な表現かどうかはわかんないけど、こんな感じ(の表現で)いいかなっ。(とちょっと自信なさげに、謙遜した感じで)」と言いたいときに、”…, if you will,” を使うような気がする。

2013年6月2日日曜日

as far as をイディオムと思っちゃだめ。


Don't get upset if things don't progress as far as you wanted them to. Be patient.
という英文。またまた、日本人の英語の勉強の仕方の欠陥に気がつく。日本では、as far as をイディオムのように覚えさせられる。
as far as I know とか、as far as it goes とか。そんな覚え方しちゃだめ。
things(物事は)そんな farまで、don't progress(進捗しない)」というのが言いたくてif things don't progress farと一気に頭をよぎるが、「自分が進めたかったほど」というのを付け足したくなると、「そんなに」という意味のas farの前に付けちゃう。farまでで一旦文章が完結。だからそこで一瞬、文を切ってもいいくらいです。その後「くらいには」という補足が付く。それが as you wanted them to. asの役目

コミュニティという言葉、本当にわかってる?

日本人には、わかりにくいコミュニティという概念。コミュニティというのは、「心、気持ちを交わす、親しく語り合う場(communeする場所)」という意味です。日本語訳では、「社会」とか「地域社会」とか訳されているけど、その訳は、またまた現象面だけからの観察結果の変な日本語訳です。「心、気持ちを交わす、親しく語り合う場」の一つとして、学校があったり、会社があったり、教会があったりする。それだけのことです。

but の本当の感覚

but って言う、とても基本的な言葉があります。

でも、butの日本語訳は、「しかし」というのがあって、その他に「以外は、…を除いては」と言う意味があります。この2つの意味って、日本語にしたら2つですが、本当にそうなんでしょうか?

英語の日本語訳は、日本人がアメリカ人、イギリス人の話していることを、その時の場面と文脈で解釈したものが、辞書に載ります。

でも…、
but には、一つの感覚しかありません。
「…以外は」という意味だけです。
(図を参照)

上の図では、Aを除いて、という感じです。

I saw nobody but him. (彼以外は、だれもいなかった)
という感覚です。
これは、2次元的にbutを捉えてみました。

では、次は、1次元的に捉えてみましょう。

下の図を見てください。

時間の経過の矢印を付けました。

何かの話が始まり、Aというまとまりのある話をします。その次に来るのは、「だけど」のbutです。ただし、Aの部分を受けて、Aの部分“以外”は、と言っているだけです。これを日本語にすると「…、しかし」となります。

例文:Everybody came to the party, but she did not come.(みんなパーティに来ました。しかし彼女は来ませんでした。)

yield の本当の感覚


yield という英語がある。
日本語では「(道路標識で)一旦停止」、「あきらめる」、「歩留まり(何かを処理して出来上がった良品)」、「(子供を)生む」などと訳される。日本語だけを見ると、訳に一貫性がない。その時々の文脈で意味を解釈している日本語の限界だと思う。
yield
のそもそもの意味は、「持っているものを渡す」、「持っているものを(自分の世界の中から)外に出す」という意味です。

こういう元々の意味を分かっていると、「あきらめる」という訳も、「(子供を)生む」も、「良品を作り出す(歩留まり)」というイメージも非常にすんなり頭に入ってきます。
yield
は、「ポコンと生み出すイメージ」、「ほいっと、持っているもの(物とか権利)を差し出すイメージ」なんですね。「(前に進む)権利を相手に譲る」から、「一旦停止」という意味にもなる。納得!

2013年6月1日土曜日

cardinal という難しげな単語の本当の意味


僕がどうしても意味を認識できなかった言葉cardinal
辞書を引いても不可思議な意味しか載っていない。

cardinal
は、語形から言って、もともと形容詞。Cardoという言葉があり、ドアのちょうつがいのことを指す。cardinalは「card(ちょうつがい)の上で、パタパタするもの」もしくは、「card(ちょうつがい)に依存しているもの」という意味。ちょうつがいが、肝心かなめのもの、ないと困るもの、構造物の基本部分という意味に変化し、cardinalは、一番大切なとか、重要な、基本的なという意味を帯びる。更に、Cardinal が、リーダーとかの意味を持ち始める。キリスト教では、カトリックの枢機卿という意味になるのも、ちょうつかいなんだから納得できる。
数学では、cardinal number というのは、基数と訳される。簡単に言えば、09の整数。自然数の機能のうち、物の個数をかぞえるときに使う数。まぁ、これも納得できる。

シャープ、ナチュラル、フラットという音楽用語って、どういう意味?

音楽用語で、シャープとフラットがあります。

意味を考えると、
シャープは「鋭い」
ナチュラルは「普通」
フラットは、もとは、平坦なという意味ですが、ひらぺったくなっている状態。活動していない状態。低い状態を指すと思います。

私は、音楽音痴ですが、「シャープは半音上げる、フラットは半音下げる。」という何か記号を覚えるようにしか頭に入っていませんでした。

最近、シャープ、フラットの他にナチュラルというのがあることがわかりました。

そのとたん、あぁそうだったのかぁ。ナチュラルという「普通」の状態があって、それを高くするのがシャープ、低くするのがフラットという意味なんだなぁって初めてわかりました。

そもそもシャープという単語と、フラットという単語が、「高い」、「低い」という意味であると身体でわかっているアメリカ人には、シャープ・フラット恐怖症があまりなく、音楽に関わっていく障壁が低いような気がします。


みなさんは、その感覚をわかった上で、シャープとフラットを理解していますか?

except と except for の違い

この違いを知るには、forの意味をよく体で感じなければなりません。
for
は、「これに関して」というように範囲を限定するためのものです。
従って、何かを話していて、全体と部分としての範囲が明確な場合、forは使わなくていいんです。例えば、
Everybody was busy except him.
の場合、前にEverybodyという「全体」があり、その後でexceptが来ると、文脈の解釈から聞いている人は「全体はこうです。次は部分の話をしますよ。」と心の準備ができている。だからforがなくてもいい。もう既に、次は部分の話をすることがわかっているからです。

でも、この全体のことを言わずに、「以外は、」というときは、聞く側は、大きな世界と小さな世界(部分)の判断か付かない状態にありますから、「どこそこの部分以外はね。」とはっきりと世界を絞り込んで話さないとわかりません(心が落ち着きません)。そういう時は、forがくっついてこないと、聞き手にとってのもやもや感がなくなりません。

The thesis is finished except for the conclusion.
論文は結論の部分を除いては、書き上がっている.

という分では、前半のThe thesis is finishedの部分でも文は成立していますが、その次に唐突に”exceptが来ると、聞き手は、一瞬、無意識に「部分を探し始めます。」その安定していない状態を落ち着かせるために、forで範囲を限定してあげます。

いろいろな説明を見ると、「文全体を修飾するときには、forが要る。」とか、しちめんどうくさい説明が多いですが、
文頭にExceptが来ると、全体がわからない状態で、唐突に部分の話をしようとしているので、はげしい唐突感に襲われます。
だからforは、かならずつけなければ、心が落ち着かないわけです。

ガント・チャートの遅れているところを、divot と言います。知ってたぁ?

長~い間、わからなかったこの一言。やっとわかりました。会社でスケジュール管理をしているときに、ガント・チャートの雷線?、イナズマ線でスケジュールが遅れているところのへこみのことを、何人かのアメリカ人が「デビット」と言っている。

何だろうと帰国子女(学生時代にアメリカ10年、今は通算13年)のT君に聞いてみたがスペルがわからない。「デビット」と発音した当の本人のアメリカ人に聞いてもスペルがわからない(なんじゃ、それ~!)。

辞書を探しまくり、「へこみ」、「三角」、「遅れ」などの日本語で調べまくってもわからない。英和辞典でde...,deb...,di...など調べたけどわからない。アルクで調べたけどわからない。マイクロソフト・プロジェクトのガントチャートのところのヘルプを見てもわからない。

でも、やっと、わかりました。
divot
でした。
これは、ゴルフとかやったときに、スウィングの後にできるへこみ(穴ぼこ)のことです。

Here you are. とHere you go.の違い。

Here you are. は、そのまま訳すと、「あなたがここにいる。」だが、Finally you are here.と言うニュアンスに近く、どこか他の場所から、今私たちがいる「ここ」という空間に入ったという意味。縄跳びの輪の中に入るイメージ。「どうぞ」という日本語は、本来の英語の意味とはかけ離れていて、現象をとらえた意訳としか言えない。

「あなたが欲するものが手に入る場所(Here)に、あなたは(やっと)入りました。」とか、

「あなたが欲するものが手に入る場所(Here)に、あなたは今います。」

と訳してあげると頭にすんなり入る。

では、Here you go. は、どういう意味かというと。「ここの空間にいて、今からあなたは、どこかへ行く。」という意味です。goは、何かというと自分が移動してどこかへ行くんです。

ちょっとイメージアップすると、行為を起こすんです。何かするんです。

だから意味は、「今いるここから、あなたは次のアクションに移れます。」という意味だ。

Here you go. と何かを差し出されたら、それが食べ物だったら、次のアクションは、食べるというアクションです。

随分、Here you are. Here you go.は、ニュアンスが違うんです。

少し、雰囲気の例を話します。 

飛行機の中のキャビン・アテンダントの方々は、お客様が座っています。お客様は、goしない(どこにも行かない)。ゆっくりと何かを食べるときは、Here you areがぴったりですね。Here you go. にすると、その物を持って、次のアクションを取る。つまり、どっかに行っちゃうとか、歩きながら食べ始めるとか。ちょっと、ぞんざいに聞こえるようです。

でも、会社の職場で使うときは、「このドキュメントがあれば、次の仕事に進められる。」とか言う状況には、Here you go. がぴったりです。